被爆者を両親として広島に生まれる。4歳から母親よりピアノの英才教育を受け、10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなし「もう教えることはない」と母親から告げられ、以降、作曲家を志望。中高生時代は音楽求道に邁進し、楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。17歳のとき、原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。高校卒業後は、現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学ぶ。1988年、ロック歌手として誘いを受けたが、弟の不慮の事故死を理由に辞退。聴力の低下を隠しながらの困難な生活が続く中、映画『秋桜』、ゲーム『バイオハザード』等の音楽を手掛ける。1999年、ゲームソフト『鬼武者』の音楽「交響組曲ライジング・サン」で脚光を浴びるが、この作品に着手する直前に完全に聴力を失い全聾となっていた。抑鬱神経症、不安神経症、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り止まない頭鳴症、耳鳴り発作、重度の腱鞘炎などに苦しみつつ、絶対音感を頼りに作曲を続ける。2000年、それまでに書き上げた12番までの交響曲を全て破棄し、全聾以降あえて一から新たに交響曲の作曲を開始。同年から障害児のための施設にてボランティアでピアノを教える。この施設の女児の一人は、交響曲第
1番の作曲にあたり佐村河内に霊感を与え、この作品の被献呈者となった。2003年秋、『交響曲第1番《HIROSHIMA》』を完成。
2011年6月に行われた第14回チャイコフスキー国際コンクールで見事第2位入賞。また同時にベスト・パフォーマンス賞も二つ受賞。2009年の第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール第2位に続く快挙となる。これまでクライバーンやアシュケナージが優勝したこのコンクールで韓国人として過去最上位に入賞し、入賞者のガラコンサートではコンクール総裁のワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団と共演。若いながらも豊かな表現力と熟達した演奏で数々の国際コンクールで華々しい受賞歴を誇る。1997年、11歳にして若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールを最年少で2位入賞したのち、エトリンゲン国際青少年ピアノコンクール、ヴィオッティ国際音楽コンクールにて全て最年少で優勝。その実績が認められ、2004年の10月にはユニバーサルミュージック(韓国)からショパン練習曲全集でCDデビュー。2009年にはヴァン・クライバーンの入賞特典として、その演奏CDがハルモニア・ムンディよりリリース。世界一流のオーケストラや指揮者との共演も多く、ロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィル、チョン・ミョンフン指揮ソウル・フィル、イスラエル・フィル、NHK交響楽団などと公演を成功させている。またレパートリーも膨大で、協奏曲だけではなくリサイタル、室内楽の公演でもその実力を発揮。その活躍は公演のみにとどまらず、ニューヨークでの潘基文国連事務総長の就任式で演奏するなど、多方面から注目を浴びる。今後もアメリカやヨーロッパでの公演が多数予定されており、その活躍が期待される。現在ドイツのハノーヴァーでアリエ・ヴァルディに師事。